murakamiのブログ

定年退職後の楽しき日々を綴ったエッセイです

四台の楽器たち

わが家に初めてやってきた楽器はピアノである。息子が七歳の頃だと思うので、一九八四年前後のことだろう。私の家では木目調の製品が好きなので、隣町の楽器店でヤマハのマホガニー色のアップライトピアノを買った。ピアノの脚は猫脚で、九十万円位だった。

最初は息子が使った。しかし、彼が近所の先生にレッスンを受けたのは二年足らずで、直ぐにピアノは止めてしまった。その後、三歳年下の娘が使い始め、中学二年位までレッスンを受けていたので、七、八年はピアノをやっていたと思う。ソナチネ位までは弾けるようになったが、その後は大学受験があったり、進学した薬学部の勉強が大変だったりで、娘もピアノは中断してしまった。それ以来わが家ではピアノは用のなくなった粗大ごみとなった。



それから二十年ほど経って、このピアノがたどたどしい音を出し始めた。五十五歳の私が、ある日突然ピアノを始めたのである。二〇〇六年の二月だった。全くのど素人であったが、先生はウィーンフィルの主席チェロ奏者とCDを出しているという実力派ピアニストの方にお願いした。幼児用の教則本『バーナム0巻』と有名な『バイエル』の八番から練習が始まった。



テニスや料理など趣味の多さが災いして、昼間練習できない日が多い。早朝や夜に練習しないと、とてもレッスンの速度について行けない。そこで、二〇一〇年の九月に電子ピアノを買った。「できるだけピアノの鍵盤タッチに近いモデル」という条件で一年間捜し、カワイのデジタルピアノ、CA12を十二万三千円で購入した。電子ピアノは書斎の机の真横に置いており、机の椅子から立ち上がり、九十度左回転すると電子ピアノの椅子に座れるようになっている。電子ピアノは練習の際に全く時間の制約を受けない点で、最高に優れものである。今夜も夜十一時を過ぎて鍵盤に向かい、ヘッドフォンをつけて楽譜を開いた。ブルクミュラー作曲の練習曲第十五番、バラードである。右手がスタッカートで左手はテヌートと難しいが、何度も練習していると少しずつ合ってきた。何ともミステリアスな雰囲気の曲で、夜のしじまの中で実に愉しい時間を過ごせた。音楽を聴くだけに較べ、演奏することは音楽を格段に深く愉しめると痛感している。



私がピアノを始めて一年半ほど経った頃、妻が何を思ったのか、ヴァイオリンをやりたいと言い出した。私のピアノの先生の友人で、桐朋音大を卒業されザルツブルクのモーツアルテウム音楽院で学ばれた三十半ばの先生に教わることになった。妻はたまたま家にあった一万円位のスズキのヴァイオリンを持ってレッスンに出掛けていた。



それから一年ほど後、夫婦で兵庫県の妻の実家に行った。妻の弟は中学校の数学教師をしており、その配偶者は音楽の先生である。妻がヴァイオリンを始めた話をすると、使っていないヴァイオリンがあると、物置の中をごそごそ探し始めた。やがて、どうぞ持って帰って下さいとヴァイオリンケースを差し出した。音大時代、ピアノ科だった彼女が副科でヴァイオリンを選択したので買ったものだという。ドイツのパウルスブランドの楽器で、インターネットでみると、ヴァイオリンが四十万円、弓が三十万円位している。思いもしない上等な楽器を手に入れて妻は有頂天になった。



それ以来、妻の練習は半端なものではなくなった。弾いて、弾いて、弾きまくる。私より音楽の才能は格段にあるようで、めきめき腕を上げていった。その内、ご近所からうるさいとの苦情を受けるようになった。やむなく、近所のリサイクルショップでヤマハのSV130というサイレントヴァイオリンを買った。新品価格は七万五千円であるが、これを二万七千円で購入した。朝方や夜はサイレントヴァイオリンでご近所に気兼ねなく練習ができるようになった。



妻がヴァイオリンを始めてから六年目を迎えた。ドヴォルザークの「ユーモレスク」も暗譜で弾くし、最近はヴィブラートの練習にも励んでいる。実に幸せそうな顔をしてヴァイオリンを弾いている。

いろいろな時期と事情でわが家にやってきた四台の楽器達。練習すればするほど、上達すればするほど、より美しい音を奏でてくれる。ピアノもヴァイオリンもとっくに減価償却が終わっている。後は付加価値を得るだけである。まさにわが家の宝物だ。



私の夢は、あと六年後、七十歳でハイドンのソナタを弾けるようになることである。そして、ザルツブルクかハンブルクで百年ほど前に製造されたグランドピアノを買いたい。今住んでいる町に、ヨーロッパから古いピアノを輸入して、修理・販売する店があり、時々訪ねてスタインウエィやベーゼンドルファーの年代物のピアノを弾かせて貰っている。鍵盤のタッチが柔らかく、音の響きがすばらしい。この店に輸入と修理を依頼しようと思っている。

 ハイドンのソナタを弾けるようになることは、とても難しいことである。しかし、「強く願えばかなえられる」ことを信じて、先生のもとに通い、スローだが、ステディに(着実に)練習を続けたい。














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