murakamiのブログ

定年退職後の楽しき日々を綴ったエッセイです

スペインの椅子

三十年前に初めてピアノを買った。妻と隣町の楽器店に行き、何台かのピアノを見せて貰った。二人ともピアノの経験がないので、どんなピアノがいいのか見当がつかない。結局、家具としての観点から、明るいチェリー色で猫足のヤマハYF101というアップライトピアノを選んだ。最初は息子が使った。と言っても、息子はレッスンを受け始めて一年余りで、もういやだと止めてしまった。三歳下の娘は中学三年生まで十年近くレッスンを続けたが、高校になってからは大学受験などでピアノから遠ざかった。それからは、わが家のピアノは完全に居間の粗大ごみとなった。

押し黙ったピアノは、十年後、騒音を出し始めた。この家の物好きなあるじが突然ピアノを始めたのだ。二〇〇六年二月初旬だった。家族は眼を白黒させて、どうせ半年ももつまいと断言した。当の本人も本当のことを言うと、三か月も続くかなと思っていたのである。


世の中は分からないものだ。独習用の教則本を見ながら、なんとか一年続いた。しかし、独りの練習では壁に突き当たり、どうしても前へ進めなくなってしまった。幸運なことに教え方が上手で熱心な先生に恵まれ、何時の間にかピアノを始めてまる七年が過ぎている。


最初の教則本は『バーナム 0巻』だった。四歳、五歳の園児が使うものだ。楽譜の余白に幼児のために楽しいイラストがついている。五十五歳の男が五歳用の本に取り組んだ。園児用といってもそう簡単ではない。0巻、1巻、2巻を終わるまでに二年余りかかっている。えらい苦労をした。次にお決まりの『バイエル』となった。これは三年ほどかかった。次の『ブルクミュラー二十五の練習曲』を始めてから二年たっている。


今年に入って、ピアノの椅子の具合が悪くなった。高さを調節する装置が経年劣化で壊れたのだ。市価一万円位の品物で、シートが硬くて冷たく、余り座る気にならない椅子だったこともあり、この際買い換えようと思い立った。住んでいる町にピアノ屋さんがあるので訪ねてみた。この店の主は横山さんという調律師で、世界的に著名なピアニスト、イェルク・デームスから調律を委ねられている。定期的にヨーロッパに出張し、デームスの八十数台のピアノを調律している。


珍しく横山さんが店にいた。椅子が壊れましたというと、日本製とヨーロッパ製のいろいろな椅子を見せてくれた。値段は一万五千円から八万円位である。横山さんはスペインのイドラウ社の製品を薦めてくれた。デザインが気に入ったので即決した。値段は五万五千円。椅子一脚としては随分高い。しかし、生涯使うことになるのでいいものを欲しいと思った。包装もせず腕で抱きかかえて持ち帰った。


新しい椅子を居間のピアノの前に置いた。実に優美な椅子だ。全体のバランスがいい。使っている天然材の木目が美しい。シートを上下させるハンドルも木でできている。ベルベットのシートは鮮やかな朱色で肌触りがよく、ほどよい硬さがあり、温かい。椅子を見ると座りたくなる。座ると練習がしたくなる。気がつけば昨年を遥かに上回る練習量になった。一脚の椅子がひとの意欲をかきたてる。不思議なことだ。たった一日で五万五千円の代金は回収できた気がした。銀行に預けてもまったく金利がつかない時代にあって、一日で十割の利息がつく投資は滅多にない。


私はピアノを練習するときは、一回で二十分ほど費やす。時間を空けてこのユニットを繰り返す。二月初めにこの椅子を買ってからの一週間、平均すると一日九ユニット練習している。ためしに、毎日つけている私の行動記録メモから昨年十二月の練習を集計してみた。テニスに行ったり、人間ドックで東京に行ったり、鎌倉で宿泊したりして練習しない日も相当にあったこともあるが、なんと一か月合計でたったの三十二ユニットだった。一日平均一ユニットだ。十二月は多忙で少なくなっていたとはいえ、圧倒的な練習量の格差に唖然とした。


練習を重ねるうちに、はっきりとした変化が現れてきた。楽譜を完全にまる暗記してしまったので、楽譜を見ずに自分の指の形を眺めながら弾いてみた。指が寝ているではないか。何年も昔から指を立てて弾けと教えられてきたが、まるでできていない。意識して指を立てて甲の高さを一定に保って弾いてみる。音がクリアになり、質感のあるあたたかい音がでる。音量を絞って演奏せよと言われている音符が、他の音符と同じ強さで打たれている。意識して弱い音で弾いてみる。初めは大変だが、次第にできるようになる。すると演奏全体のバランスが極度に改善され、美しい和音となった。よい先生の教えを受けて練習に継ぐ練習をする。そして更に練習する。今の私にはこれが一番大事なことだと分かった。


ピアノを始めてまる七年がたったとき、偶然に椅子が壊れ、交換に買った椅子のお蔭で突然、練習量が急増し、レベルが上がってきた。いいモノは多少高価であるとはいえ、結局トクだということだ。すばらしい椅子に座って研鑽を積んでいきたい。(二〇一三年)

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