murakamiのブログ

定年退職後の楽しき日々を綴ったエッセイです

わが友、ヴィヴァルディ

 私は福井県坂井市の寒村に生まれた。中学一年の時、講堂で同級生の女生徒がフルートで演奏する、ビゼーの「アルルの女、メヌエット」をきいて、その美しい、流れるような音楽に感動した。それから少しずつクラシック音楽をきくようになった。

 最初に惹かれたのはベートーヴェンの交響曲第五番「運命」だった。出だしの、ダ・ダ・ダ・ダーン!というモチーフは圧倒的で、今きいても大きなインパクトがある。ナショナルのおもちゃのようなLPプレーヤーで、ベートーヴェンの「英雄」、「田園」、「合唱」交響曲などのレコードを買って繰り返しきいた。高校生になると、ブラームス、シューベルトなど、よく知られた作曲家の作品をきくようになった。僻地では実際のオーケストラを聞く機会もなく、写真で見るだけだった。大学に入った一九六九年頃は音響製品がどんどん発売され、それなりの音が出るステレオ装置を購入して、ドヴォルザーク、モーツァルト、ハイドン、マーラーなどの作曲家の作品もきくようになった。この頃、大阪万博がらみの演奏会で初めてオーケストラのコンサートに行った。百人近い人たちが合奏しているのを見て驚いた。社会人になってもクラシックはよくきき、モーツァルトの交響曲第二十五番やブルッフのヴァイオリン協奏曲など、気に入った作品も増えてきたが、退屈で楽しめない曲も沢山あった。これまでの半世紀、クラシックとはつかず離れずの付き合いだった。


 二年前、近所のリサイクルショップでパナソニックのステレオコンポを一万五百円で買った。縦横三十センチx十五センチのスピーカーだが、技術の進歩はすばらしく驚くほどいい音を出してくれる。モーツァルトやサン=サーンスの作品を楽しんでいた。ところが、二月ほど前、突然動かなくなった。さて、これは困った。


「コンポが壊れてしまいました。買い換えたいと思います。いいモデルをご紹介願えませんか。予算は二十万円です」

オーディオが趣味の吉川力也さんにSOSメールを送った。スピーカーは今のものより一回り大きく、アンプの出力も上のモデルを買い、もっといい音をききたいものだ。


 半月ほどして、メールが届いた。

「村上家の一時的なオーディオ環境の整備と吉川家の整理整頓という二兎を追う案です。

我が家から村上家に引っ越すもの

一、ネットワークプレーヤーアンプ 二、ハードディスク 三、手作り小型スピーカー

いずれも昨年、私の部屋のアンプやCDプレーヤーを入れ替えた際に、古い機器を処分しきれず、部屋を狭くしているものです」


なんともありがたい話だ。一体どんな音が出るのだろうか。楽しみに待っていると、十一月下旬、宅急便で大きな段ボール箱が四箱届いた。想像していたものより数倍の質量で、びっくりしてしまった。しかし驚くのはまだ早かった。次々と荷物が届き、全部で十個の段ボール箱が六畳の書庫を完全に占拠してしまった。段ボールの数が多かったのは、スピーカーが三セット(計六個)送られてきたためでもある。視聴して部屋に合うスピーカーを選んで欲しいとメールに書いてあった。

基本コンセプトは、ネットワークオーディオシステムで、パソコンを組み込んで、パソコンでいろいろな操作を行うというものだ。システムが複雑なので私にはセットアップが難しかろうと、吉川さんは銀座のオーディオショップ「サウンドクリエイト」の専門家をわが家に派遣してくれた。二時間かけてオーディオシステムが組みあがった。CDは先ず、パソコンで読み取り、専用のハードディスクに保存される。音楽を再生するときは、この専用ハードディスクを読み込み、アンプで増幅してスピーカーから音を出す。この専門家によると、百万円を超えるCDプレーヤーでも、CDを再生する時は情報の読み込みミスが生じ、瞬時にミスを補正(胡麻化)して音を出しているという。これに対してハードディスクは、あらかじめ時間をかけて丁寧にすべてのCD情報を読み込むので、再生時の読み込みミスがなくなりCDより高音質の音を再現できるのだときいた。初めてCDからハードディスクに保存した音をきいたとき、余りの音質のよさに度肝を抜かれた。このシステムで使用されているアンプは英国リン社製で三十四万円である。システム全体の購入価格を合計すると、私の当初予算の四~五倍になる。たいへんな装置がやってきたものだ。


早速、近所のフェリス女学院大学に足を運んでCDを探した。書棚を眺めているうちにヴィヴァルディ全集(全四八巻)に興味が湧いた。取り敢えず一巻から八巻までの八枚のCDを借りてきた。先ずは、作品一「十二のトリオソナタ集」をハードディスクに読み込んで聴いてみる。艶やかなヴァイオリンが歌い始める。ヴィブラートのかかった輝きにみちた音がする。チェロが右脇から低音部を奏で、チェンバロが控えめに裏方を務める。ゆったりとしたテンポで明るく美しく、つい聴きほれてしまった。これまで、ヴィヴァルディの音楽と言えば、作品八の協奏曲集「四季」しかしらなかった。十二のトリオソナタは四季よりずっと気に入った。


ヴィヴァルディの曲のなかで、アレグロのような早いテンポの曲より、アダージョやラルゴのゆったりした速さの曲が好みである。ヴィヴァルディをきくと気持ちが安らぐ。どのような人物で、いかなる人生を送ったか、明確には記録に残っていないようだが、精神的に安定した人生を送った人だという気がする。ヴィヴァルディの作品をきくと、心は静謐でありながら、楽しく朗々と歌う雰囲気を感じる。そしてイタリア料理のように、濃厚なコクと旨味が心のなかを満たしてくれる。五十年間クラシックをきいてきて、初めて好みの作曲家に出会えたような気がする。


作品番号の順番に、ゆっくりと全集をたのしんでいる。作品二番は「十二のヴァイオリンソナタ集」、作品三番は「協奏曲集」、作品四番は「ヴァイオリン協奏曲集」と続く。いずれも上品で聴きごたえのある曲が多く、これからのオーディオライフが本当に楽しみになってきた。


ヴィヴァルディの人となりに興味を持ち、ロラン・デ・カンデ『ヴィヴァルディ』(一九七〇、白水社)を読んでいる。彼は幼少の頃から司祭職への道を励んでおり、ヴェニスで司祭に任じられた。しかし聖職者としての仕事はほどほどに務め、音楽家・劇場興業主として活躍していたらしい。音楽だけでなく、その謎に満ちた生涯も面白そうだ。彼は、今の私と同じ六三歳のときウィーンで世を去った。


今年二〇一三年の最大の収穫は、すばらしいオーディオ装置が書斎に配備されという幸運に恵まれ、時を同じくしてヴィヴァルディに出会えたことだ。これからの余生でこの作曲家の音楽をゆったりとじっくり愉しんでいこう。良い新年を迎えることができそうだ。

                           (二〇一三年)

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