murakamiのブログ

定年退職後の楽しき日々を綴ったエッセイです

「あいつと私」

NHKBSプレミアムで月曜日の午後、「プレミアムシネマ」という番組がある。私のパソコンはテレビ放送を受信できるように設定しており、二年前からパソコンで毎週、自動予約録画している。先月「あいつと私」という映画が放送されていた。

映画は東京近郊の専明大学での講義風景から始まる。私の息子の入学式などで何度か訪れたことのある慶応大学の日吉キャンパスで撮影されている。いきなりヒロインの浅田けい子が登場する。ショートヘアで清潔感があり、大きく知性的な目をしており、教授の冗談に笑顔がはじける。そのチャーミングな姿を見て一瞬にして鷲掴みされてしまった。


主人公はけい子の同級生、黒川三郎。三郎の母親モトコは有名な美容師で、気の弱い夫を尻に敷き、若い愛人もいる。けい子の家は田園調布にあり、四人姉妹の長女である。裕福な家庭の子弟が集まる大学の学園生活が明るく展開される。時あたかも日米安保条約改定のさなかにあり、友人の結婚式の帰り、三郎とけい子たちは安保闘争のデモに行く。

「アンポ、反対! アンポ、反対!」


夏休みがきた。三郎、けい子たち五人は、三郎のベンツで東北地方を回って軽井沢にあるモトコの別荘までドライヴすることになった。三郎の家庭の複雑さを感じつつ、三郎の明るさと芯の強さに触れるにつれてけい子は惹かれていく。

「黒川家のひとって、みんなじめじめしていないのね」


後期授業が始まった。モトコの誕生日パーティにけい子も出席した。その時、モトコの昔の友達で、アメリカでホテル事業に成功し、久しぶりに帰国したという阿川も出席した。パーティの後で、けい子は、モトコから、三郎は自分と阿川の間にできた子だと聞き驚く。
「私はできるだけ優秀な血統の子供を残すべきだと思ったんです」


翌日、三郎の父・甲吉は三郎が成人し、自分の役割が終わったので家を出ていくという。三郎はけい子と婚約したと宣言し、婚約を祝福するためにも家を出ていかないでくれという。


三郎の出生の秘密はサプライズと言えなくもないが、ストーリーとしては平凡で大きな山場もなく、唐突な三郎の婚約で幕を閉じる。しかし、月並みなストーリーにも拘わらず、最初から最後までおおいに楽しむことができた。なぜだろうか。

この作品は一九六一年の制作である。ちょうど日本が高度経済成長の第一ステージにあり、映画でも貧しさの背後に将来への明るい希望が満ち溢れている。若人たちが画面一杯に躍動し、見ているだけで元気になってくる。半世紀前にタイムスリップできた気分がして実におもしろい。


女優たちも魅力的だ。ヒロインのけい子を演じているのは芦川いづみである。才色兼備で育ちのよい女子大生を見事に演じている。けい子の友人に扮する中原早苗、吉行和子も美しく、若々しい。吉行は五十年後の今日でも第一線で活躍している。私の好きな渡辺美佐子はモトコの弟子を演じている。当時十代の吉永小百合がけい子の妹役をしているが、脇役に甘んじているのも興味深い。


圧巻は三郎を取り巻く俳優たちである。ひ弱な父を宮口精二が演じている。私は多くのテレビドラマで宮口の演技を見て感動してきた。この映画でも必要にして十分な仕事ぶりで、宮口の姿がチャーリー・チャップリンにだぶった。やり手の美容師、モトコを演ずる轟夕起子は初めて見た女優である。怜悧な大人の女性、少女のようにはしゃぐ女、苦悩を語る母親を現実以上のリアリティで演じている。


極め付きはモトコの昔の友人で三郎の実の父親、阿川に扮する滝沢修である。その堂々たる風格と目の演技力で、画面に登場するだけで場を圧する力がある。彼の演技にかかると月並みなストーリーが感動的な名作に変身する。これらの名優たちが一堂に会する場面では、あたかも熱気溢れる舞台を見ているようでぞくぞくした。


三郎を演じるのは石原裕次郎で、この映画の主演であるが、力のある脇役陣に目と心を奪われてしまい、裕次郎の存在がとても薄く感じる。


五十年前に制作された映画とはとても思えない鮮やかなカラー映像で、すべてのシーンが丁寧に美しく撮影されている。せりふも知的で含蓄があり、磨き抜かれている。そして黛敏郎の音楽が映画を更に盛り上げる。この映画は永久保存としてDVDに残した。時をおいて何度も楽しみたい作品である。


下調べの楽しみ

早目に会社を退職して、元気一杯の間に何度か海外旅行をしようと思っていた。同じ時間と費用をかけても、六十歳の時の旅行と六十五歳での旅行では、享受できる価値に雲泥の差があるのではないだろうか。

そんなこともあって六十の少し手前で自由の身になった。ところが、世の中はそうそう思い通りにはならない。退職とほぼ同時期に妻の母親が体調を崩し、一年後の三月に天に召された。その三ヶ月後には初孫が誕生した。娘婿が中国日産自動車に赴任中の為、娘と孫は十一月末までわが家に滞在したので、この二人を残して海外旅行に行くわけにはいかない。というよりは、孫と一緒に暮らせるなら、海外旅行など何の魅力も感じなかった。


いろいろなことが何とか落ち着いて、六十二歳の誕生日の一週間後の、今年六月二十四日、ようやく海外旅行に出かけられる状況になった。八十八歳の母親は近くの老人福祉施設がショートステイで受け入れてくれることになった。東京の息子と相模原市の娘夫婦にも留守中の世話を頼んだ。


行き先は妻が十年来希望していたイギリスの湖水地方とコッツウォルズである。六月のこの時期がベストシーズンらしい。私は二〇〇五年に会社の仕事でスコットランドのエジンバラとロンドンを訪問して以来二度目のイギリスとなる。


一九七五年に妻とハネムーンでアメリカ西海岸を旅行して以来、二人で何度か海外旅行をしてきた。殆どの場合、旅行前に十分な下調べをせず、結局、成田で飛行機に乗り、シートベルトを締めてからおもむろに旅程表とガイドブックを開くという有様であった。その結果として現地を訪ねても、いまひとつ理解が浅く、十分に堪能できず、正直言って印象も記憶も薄いものだった。


そこで今回は、じゅうぶん事前の準備をした上で出掛けようと、出発日の一週間前から入念に下調べと旅装の準備を始めた。


旅程では、二十四日成田を発ち、同日英国中央部のチェスターに着いて一泊。翌二十五日は、車で北に百七十キロ走って、詩人ワーズワースが暮らした湖水地方の村、グラスミアと絵本で有名なピーターラビットの作者の家を訪問。二十七日には南に下ってコッツウォルズを訪ね、そこで二泊。二十九日に南に向かってロンドンで一泊し、七月一日成田に帰ってくることになっている。


湖水地方では、ワーズワースが住んだ村とビアトリクス・ポターの家を訪問する。ワーズワースの詩は高校の時、教科書に出ていたような気がする。Daffodil(ラッパスイセン)がどうのこうのというような詩で、何の面白みもなかった。今回の旅行では、彼の詩はある程度、賞味した上で訪問したいと思う。私は直感的に、ワーズワースの詩に親しめるかどうかが今回の旅行の価値を左右すると考えている。しかし、インターネットを検索してもワーズワースの作品を入手できなかった。ただ、代表作の一つは『THE PRELUDE』だと知った。


そこで十九日の午前中、プリウスに乗って、自宅から一キロ離れたフェリス女学院大学に駆け込んだ。家から図書館まで十分程度で行ける。研究社が一九六七年に出版した『THE PRELUDE』(『前奏曲』)と福音館書店が一九九七年に発行した『ピーターラビット全おはなし集』という二冊の本を借り出した。


早速『THE PRELUDE』を読み始めた。最初に、英文学者の故前川俊一氏の二十三ページにわたるイントロダクションが書かれている。この論文を読んで事情が大分飲み込めてきた。


THE PRELUDE』は一八〇五年、この詩人が三十五歳の時の作品である。全部で七百五行の自伝的長詩である。読みやすい英語で結構面白い。最初の四行はなかなかいい。日本語に直してみよう。


この優しい微風には祝福がある

風は緑なす野原から、そして雲から吹いてくる

さらに空から。風は私の頬を打ち、

この微風は、自らが与える喜びを半ば分っているようだ。


この本を持参し、行きのヴァージンアトランティック航空の機内、二十四日のチェスターのホテルで、この長詩を読むことにしよう。二十五日はグラスミア散策の際、是非この詩を読む時間を取ろう。その夜から二泊するグラスミア近辺のラングデールチェイスホテルでもこの詩を楽しむことにしたい。ということは、機内でもレストランでも大好きな酒は少し控えねばなるまい。


下調べがこんなに愉しいものだとは知らなかった。心は既にイギリスに飛んでいる。下調べをしている内に、日程が次第次第に理解でき、クリアに頭の中に入ってきた。時間をかけて考えていると、スーツケースに入れる物も無駄なく、漏れも少なくなる。マルコメの三種類の味噌汁を十袋入れた。梅干、レトルトの赤飯・おかゆ、カステラなども用意した。いつも愛飲している芋焼酎「島美人」五合瓶、日本酒の「吉乃川」は二合用意した。スコッチの国で焼酎のお湯割りを飲むのもいいだろう。風呂で使用するタオルは薄手のものが一番である。この一年使ってきて少し穴の開きだしたタオルを入れた。


出発の三日前に、同行する添乗員から電話があった。

「寒い日もあり、雨も降りますので、寒さと雨対策を十分にしてきてください」

早速雨合羽を用意し、靴はマドラスの防水ウォーキングシューズを履いていくことにした。


ビアトリクス・ポターの『ピーターラビットのおはなし』はこれまで知らなかった。借りてきた本を開いて読んでみると、どこかでこの兎の絵を見たことがある。半世紀ぶりに読む絵本。優しい絵で色彩もよい。文章もすばらしい。


旅の準備が進むにつれて、旅行のイメージがどんどん膨らんでいくと同時に、幾つかの疑問点が出てきた。これらは手帳にメモしておき、添乗員、ホテルのコンシェルジェなどに教えて貰おう。


物事はやはり、受身ではなく、能動的に働きかけるスタンスで進めていくのが一番いいようだ。下調べを始めて四、五日経って、既にイギリス旅行をしている自分を発見する。現地に行けば、また違う現実があり、期待を裏切られることや予想外に嬉しいことにも遭遇するだろう。イギリスはきっと、しっかり準備した私達に感動やさまざまなサプライズを与えてくれるだろう。明日二十四日から楽しみな一週間が始まる。               (二〇一二年)


錆びたナイフ

砂山の砂を指で掘っていたら、まっかに錆びたジャックナイフが出てきた。

これは石原裕次郎が一九五七年に発表した曲の歌詞である。よく響く甘い声、スローテンポのやさしいメロディ。何度きいてもいい曲だ。


わが家の台所を整理していたら、錆びたナイフが出てきた。刃渡り二〇・五センチの刺身包丁である。どこのどいつが買ったのか♪ と歌いたいところだが、二十年ほど前に、浅草の合羽橋道具街で買ったものだ。見事に錆びている。これではどうにもならない。即刻捨てよう。しかし、刃渡りの長い包丁だから捨て方も慎重にせねばなるまい、と思いながら捨てないままで時間が過ぎた。


天然魚の刺身が大好物である。天然物は高いので、たこやイカ、冷凍のまぐろを買うことが多い。かつを、あじ、いわしも旨い。刺身は酸化するので必ずさくで買い、食べる直前に切る。包丁は香典返しのカタログギフトで貰ったステンレス製のものを使っている。三千円程度のものだ。この包丁が切れなくて困っている。イカをしっかり切った積りでも、箸で摘みあげると数珠繋がりになっていることが多い。妻から軽蔑の眼差しを受ける羽目になる。


日に日に、切れる包丁がほしいとの思いが募ってきた。思い立ったら吉日で矢も盾もたまらず、へそくり預金から引出した三万円を握りしめて横浜東急ハンズに駆け込んだ。三階の台所用品売り場には所狭しと調理用品が並んでいる。刃物コーナーで興味津々にさまざまな包丁を物色する。安いものは二千円位からあり、一万円を超える包丁はガラスケースに入れられ鍵がかかっている。店員に鍵を開けて貰い、一万四千八百円のステンレスの刺身包丁を買うことに決めた。刃渡りは二〇センチほどで銀色にギラリと光り、これなら切れそうだ。


念のため、四〇前後で小太りの女性店員にきいてみた。

「鉄製が切れると思いますが、直ぐ錆びるので困ります。このステンレス包丁は切れますかね?」

「ステンレスは切れません。切れるのは鉄製です。ステンレスも鉄も研がないとすぐ切れなくなります」


実に事務的な対応である。商品を売ろうという意思はまったく感じられない。さっさと鍵をかけてレジに帰っていった。やっぱり鉄製でないとダメなのか。しかし鉄製はすぐに錆びてしまう。意思決定ができなくなり、手ぶらで店を後にした。帰宅して錆び錆びの包丁を眺めてみた。一万円以上払って買ったときはピカピカで、実によく切れた。ふと、研いでみようかなとの思いが浮かんだ。シンク下の収納スペースを探すと埃にまみれた砥石が出てきた。包丁と砥石に水をかけて研ぎ始めた。直ぐ赤黒い液が流れ出す。水で洗い流しながら研いでいると、鉄の地肌が少し見えてきた。こうして何度か研いでいると、次第に綺麗な包丁になってきた。段々包丁研ぎがおもしろくなってきた。これもその道のやり方というものがあるのであろうと、インターネットを調べた。結構難しいことが書いてあり、直ぐに分かるようなものではない。一つ分かったことは、研いでいると出てくる粘土状のものを水で流してはいけないということだ。粘土状のものが研磨剤の役割を果たすらしい。今度は水で洗い流さずに研ぎ始めた。刃物を扱っているので指を切らないように注意している。指を切ったらピアノの練習ができなくなるのだ。料理の時もおおいに差し障る。細心の注意を払って、黙々と研いでいると雑念が一切ふり払われ、気分がいい。

「ほらほら、また始まった」

妻に冷やかされた。


一週間ほど経つと立派な刺身包丁に変身した。ルーペで刃先全体を観察すると下から二センチほどの所で一か所刃がこぼれている。長時間研いでいればその内修復できるだろう。研いだ後は布巾で拭い、自然乾燥の後、オリーブオイルを塗り、サランラップを巻いて仕舞う。


包丁が綺麗になると切れ味を試したくなる。横浜そごう地下の魚金でまぐろのさくを買ってきた。さて切れるだろうか。慎重に刃先をまぐろに当て、えぃと包丁を手前に引いた。切れる!まるで違う。包丁が魚にすーっと入り込み、繊維に当たるとブサっと一瞬で断ち切る。これまでは、繊維のところで包丁を鋸のように使い、刺身がぐにゃぐにゃになっていた。スパッと切れるから形が崩れない。切られた端面が実にシャープである。味が格段にいいのは言うまでもない。


いい包丁を手にすると、いい魚がほしくなる。魚売り場で商品を見るときも気合が入ってきた。さくを切り分けるときもプロの板前になった気持ちで臨む。食べるときも、盛岡から取り寄せた「あさ開(びらき)」などの旨い酒を汲み、慈しみながら頂く。


東急ハンズの店員さんの一言で、捨てられる運命にあった包丁が復活した。包丁を研ぐという楽しみを見つけることもできた。裕次郎は真っ赤に錆びたジャックナイフがいとしいと歌っている。私も刺身包丁がいとしくてならない。そろそろ夕食を用意せねばならない。今日はスーパーにいい魚があるだろうか。        (二〇一一年)