murakamiのブログ

定年退職後の楽しき日々を綴ったエッセイです

厨房も亦楽しからず乎

毎朝目覚めた時の楽しみは、横たわったまま朝食のメニューを考えることである。今朝は冷蔵庫の食材が乏しい。卵もない。そこで、キャベツを刻んで塩を振り、揉み込んだ。淡路島の義父が作った玉ねぎをスライスして水に浸す。キャベツがしんなりしたところで手で絞って水を切り、玉ねぎをみじん切りにして加える。缶詰のシーチキンを入れる。これに胡椒を振りマヨネーズを加えて混ぜ合わせる。旨いキャベツサラダができた。


五、六年前に板前さんが着ているような割烹着を買った。一万円近くした。エプロンにしては高いが、袖を通すと車のギアをトップにチェンジした時のように気持ちが切り替わるのが不思議だ。さぁ料理をしようという気持ちになる。


しかし、割烹着を着ただけで板前さんになれるほど料理というものは甘くない。そこで、道具の力を借りることにした。東急ハンズで、クロワッサンというブランドの温度計付き天ぷら鍋を四、二〇〇円で購入した。ボールに小麦粉を入れ、溶いた卵を加え、水を入れながらかき混ぜる。小麦粉が多少、粉の状態で残る位がいいらしい。鍋に油を入れて加熱し、温度が一七五度前後になったら、天ぷらを揚げ始める。先ずはサツマイモから始めた。温度が下がり始めるとガスの勢いを強くし、一八〇度を越すと一旦ガスを切る。こうした温度管理により天ぷらがからっと揚がり、甘く、とても旨かった。それ以来、天ぷら料理をすることが何よりの楽しみになった。


イカ、海老、舞茸、人参、ゴウヤの天ぷら、どれも実においしい。しかし、かき揚げは難しかった。どうしても塊にならずばらばらになってしまう。再び東急ハンズに行った。かき揚げ用のレードル(おたま)があった。二、六二五円だった。このレードルを使うと立派なかき揚げができる。まるで魔法のようだ。ますます天ぷら料理にはまった。但し、イカなどは注意しないと水蒸気が飛び散ることがあり、非常に危険だ。天ぷらをする時は眼鏡をかけるようにしている。一万円の割烹着の右袖はいつのまにか焦げている。名誉の負傷だ。


天ぷらができるようになると、少しばかり厨房に親近感を覚えた。しかし、頻繁に天ぷらを作っていると家族からブーイングが出るのは当然だ。次の手を考えなければならない。そこで目を付けたのが私の好物の刺身である。近所のスーパーに行き、おいしそうで値段の手ごろなものを買う。戸棚の皿の中から適当なものを選んで盛り付ける。ところが、店頭ではいかにもおいしそうに見えた刺身なのに思ったほど旨くない。直ぐ食べられるように切り分けられた刺身は、時間が経過するにつれて酸化してしまい、まずくなるようだ。そこで、刺身はさくで買うことにした。上等な刺身包丁を買い、食べる直前に切って食卓に載せると断然おいしくなった。それから二、三年して、鮮魚は横浜そごうの食品売り場が一番だと分かった。「魚喜」と「山金」という魚屋が並んでいるが、山金の方がおいしい。この二軒の魚屋は夕方の混雑時を避ければ、天然魚を無料で捌いてくれる。午後二時頃、山金に行き、その朝、海から上がったばかりの魚を丸ごと一本買い、目の前で三枚におろしてもらう。全長五〇センチ余りある天然いなだが、日によっては一匹八〇〇円で買える。夕食時、このさくを切り分けて皿に盛りつける。東京の一流店に負けない旨さである。ぶりといなだは同じ種類の魚だが、いなだではなく、天然ぶりとして売り出されると、一匹五千円位になる。いなだとぶりを誰がどんな基準で区別するのかは知らない。日本人のブランド志向が、いなだなら安くても買わない、ぶりなら高くても買うという消費行動を引き起こしているように思えてならない。私は脂っこくて醤油をはじくぶりよりもやや淡白ないなだの方が好きである。しかも五分の一ほどの値段で買える。ありがたいことだ。そごう詣では当分続くだろう。


このような、道楽のような数年が過ぎ、六〇歳になると自主的に定年と決めて会社を卒業した。一年余りテニス、ピアノ、図書館通いと自由を謳歌していると、一方で妻が猛勉強の末、保育士の国家資格を取って保育園で働き始めた。実に自然な成り行きで、私が家族の食事を作ることになった。


こうなると料理は道楽ですとほざいている訳にはいかない。『お料理一年生の基本レシピ』(二〇一一、主婦の友社)という本を買って、真面目に料理に取り組み始めた。胡瓜とワカメの酢の物、鶏のから揚げ、金目鯛の煮つけなどをレシピ通りに作った。実においしくでき、料理が得意で一家言ある妻も文句を付けなかった。


好きな料理のひとつに豚の角煮がある。とろけるような脂身と歯ごたえのある肉のバランスがいい。こころよい甘さがあり、豚バラ肉の旨味がたっぷり詰まっている。名前の通りの角ばった姿は見ているだけで食欲が湧いてくる。しかし、自分で作るとなるとハードルが高すぎるような気がして手が出なかった。ところが、食事作りを引き受けて半年余り経ったある日、豚の角煮が作れるようになった。


豚バラ肉は四人分で五〇〇グラムである。ちなみにバラ肉とは、アバラ骨の周囲の肉で、赤身と脂身が交互に三層になっており、コクと旨味がある肉のことである。この肉を八つに切り、鍋に水四カップと酒大さじ三杯を入れ、生姜の薄切りと共に四十分煮る。


ゆで汁と生姜を除き、豚バラ肉の表面についたあくや汚れを水で洗い流す。そして、規定量の水・酒・しょうゆ・砂糖・みりんを混ぜた煮汁の中に肉と生姜の薄切りを入れ、瀬戸物の皿を上に載せて、八十分煮れば出来上がる。


これを普通の鍋で作るとなると、二時間以上鍋の様子を見ていなければならない。これは大ごとだ。私は鍋の代わりにジャー炊飯器で調理する。たまたま炊飯器のマニュアルを読んでみたら書いてあったメニューである。炊飯器だと、一旦タイマーをセットすると後は炊飯器のマイコンに任せておけばよいのだ。上々の角煮が出来上がる。


妻が外で働き、夫は家で食事を作る。会社で働いていた時の反対だ。不思議な感じもするが、妻の勤めをいくらかでも支えているような気がしている。計画してこうなった訳ではないが、道楽の料理がなにがしか役に立っているような気がして嬉しい。


今年六月下旬、妻とイギリス旅行に出た。湖水地方でビアトリクス・ポターの家を訪ねた時、彼女が描いたピーターラビットのエプロンを二着買った。これで割烹着と合わせて調理着は三着になった。この三着を交代で着用しながら今日も料理に励んでいる。


孔子の『論語』の中に、

「朋有り、遠方より来たる。亦楽しからず乎」

という一節がある。私の好きな言葉である。これにまねて私の心情を託した。

男還暦、厨房にて過ごす。亦楽しからず乎。      (二〇一一年)





わが友、ヴィヴァルディ

 私は福井県坂井市の寒村に生まれた。中学一年の時、講堂で同級生の女生徒がフルートで演奏する、ビゼーの「アルルの女、メヌエット」をきいて、その美しい、流れるような音楽に感動した。それから少しずつクラシック音楽をきくようになった。

 最初に惹かれたのはベートーヴェンの交響曲第五番「運命」だった。出だしの、ダ・ダ・ダ・ダーン!というモチーフは圧倒的で、今きいても大きなインパクトがある。ナショナルのおもちゃのようなLPプレーヤーで、ベートーヴェンの「英雄」、「田園」、「合唱」交響曲などのレコードを買って繰り返しきいた。高校生になると、ブラームス、シューベルトなど、よく知られた作曲家の作品をきくようになった。僻地では実際のオーケストラを聞く機会もなく、写真で見るだけだった。大学に入った一九六九年頃は音響製品がどんどん発売され、それなりの音が出るステレオ装置を購入して、ドヴォルザーク、モーツァルト、ハイドン、マーラーなどの作曲家の作品もきくようになった。この頃、大阪万博がらみの演奏会で初めてオーケストラのコンサートに行った。百人近い人たちが合奏しているのを見て驚いた。社会人になってもクラシックはよくきき、モーツァルトの交響曲第二十五番やブルッフのヴァイオリン協奏曲など、気に入った作品も増えてきたが、退屈で楽しめない曲も沢山あった。これまでの半世紀、クラシックとはつかず離れずの付き合いだった。


 二年前、近所のリサイクルショップでパナソニックのステレオコンポを一万五百円で買った。縦横三十センチx十五センチのスピーカーだが、技術の進歩はすばらしく驚くほどいい音を出してくれる。モーツァルトやサン=サーンスの作品を楽しんでいた。ところが、二月ほど前、突然動かなくなった。さて、これは困った。


「コンポが壊れてしまいました。買い換えたいと思います。いいモデルをご紹介願えませんか。予算は二十万円です」

オーディオが趣味の吉川力也さんにSOSメールを送った。スピーカーは今のものより一回り大きく、アンプの出力も上のモデルを買い、もっといい音をききたいものだ。


 半月ほどして、メールが届いた。

「村上家の一時的なオーディオ環境の整備と吉川家の整理整頓という二兎を追う案です。

我が家から村上家に引っ越すもの

一、ネットワークプレーヤーアンプ 二、ハードディスク 三、手作り小型スピーカー

いずれも昨年、私の部屋のアンプやCDプレーヤーを入れ替えた際に、古い機器を処分しきれず、部屋を狭くしているものです」


なんともありがたい話だ。一体どんな音が出るのだろうか。楽しみに待っていると、十一月下旬、宅急便で大きな段ボール箱が四箱届いた。想像していたものより数倍の質量で、びっくりしてしまった。しかし驚くのはまだ早かった。次々と荷物が届き、全部で十個の段ボール箱が六畳の書庫を完全に占拠してしまった。段ボールの数が多かったのは、スピーカーが三セット(計六個)送られてきたためでもある。視聴して部屋に合うスピーカーを選んで欲しいとメールに書いてあった。

基本コンセプトは、ネットワークオーディオシステムで、パソコンを組み込んで、パソコンでいろいろな操作を行うというものだ。システムが複雑なので私にはセットアップが難しかろうと、吉川さんは銀座のオーディオショップ「サウンドクリエイト」の専門家をわが家に派遣してくれた。二時間かけてオーディオシステムが組みあがった。CDは先ず、パソコンで読み取り、専用のハードディスクに保存される。音楽を再生するときは、この専用ハードディスクを読み込み、アンプで増幅してスピーカーから音を出す。この専門家によると、百万円を超えるCDプレーヤーでも、CDを再生する時は情報の読み込みミスが生じ、瞬時にミスを補正(胡麻化)して音を出しているという。これに対してハードディスクは、あらかじめ時間をかけて丁寧にすべてのCD情報を読み込むので、再生時の読み込みミスがなくなりCDより高音質の音を再現できるのだときいた。初めてCDからハードディスクに保存した音をきいたとき、余りの音質のよさに度肝を抜かれた。このシステムで使用されているアンプは英国リン社製で三十四万円である。システム全体の購入価格を合計すると、私の当初予算の四~五倍になる。たいへんな装置がやってきたものだ。


早速、近所のフェリス女学院大学に足を運んでCDを探した。書棚を眺めているうちにヴィヴァルディ全集(全四八巻)に興味が湧いた。取り敢えず一巻から八巻までの八枚のCDを借りてきた。先ずは、作品一「十二のトリオソナタ集」をハードディスクに読み込んで聴いてみる。艶やかなヴァイオリンが歌い始める。ヴィブラートのかかった輝きにみちた音がする。チェロが右脇から低音部を奏で、チェンバロが控えめに裏方を務める。ゆったりとしたテンポで明るく美しく、つい聴きほれてしまった。これまで、ヴィヴァルディの音楽と言えば、作品八の協奏曲集「四季」しかしらなかった。十二のトリオソナタは四季よりずっと気に入った。


ヴィヴァルディの曲のなかで、アレグロのような早いテンポの曲より、アダージョやラルゴのゆったりした速さの曲が好みである。ヴィヴァルディをきくと気持ちが安らぐ。どのような人物で、いかなる人生を送ったか、明確には記録に残っていないようだが、精神的に安定した人生を送った人だという気がする。ヴィヴァルディの作品をきくと、心は静謐でありながら、楽しく朗々と歌う雰囲気を感じる。そしてイタリア料理のように、濃厚なコクと旨味が心のなかを満たしてくれる。五十年間クラシックをきいてきて、初めて好みの作曲家に出会えたような気がする。


作品番号の順番に、ゆっくりと全集をたのしんでいる。作品二番は「十二のヴァイオリンソナタ集」、作品三番は「協奏曲集」、作品四番は「ヴァイオリン協奏曲集」と続く。いずれも上品で聴きごたえのある曲が多く、これからのオーディオライフが本当に楽しみになってきた。


ヴィヴァルディの人となりに興味を持ち、ロラン・デ・カンデ『ヴィヴァルディ』(一九七〇、白水社)を読んでいる。彼は幼少の頃から司祭職への道を励んでおり、ヴェニスで司祭に任じられた。しかし聖職者としての仕事はほどほどに務め、音楽家・劇場興業主として活躍していたらしい。音楽だけでなく、その謎に満ちた生涯も面白そうだ。彼は、今の私と同じ六三歳のときウィーンで世を去った。


今年二〇一三年の最大の収穫は、すばらしいオーディオ装置が書斎に配備されという幸運に恵まれ、時を同じくしてヴィヴァルディに出会えたことだ。これからの余生でこの作曲家の音楽をゆったりとじっくり愉しんでいこう。良い新年を迎えることができそうだ。

                           (二〇一三年)

スペインの椅子

三十年前に初めてピアノを買った。妻と隣町の楽器店に行き、何台かのピアノを見せて貰った。二人ともピアノの経験がないので、どんなピアノがいいのか見当がつかない。結局、家具としての観点から、明るいチェリー色で猫足のヤマハYF101というアップライトピアノを選んだ。最初は息子が使った。と言っても、息子はレッスンを受け始めて一年余りで、もういやだと止めてしまった。三歳下の娘は中学三年生まで十年近くレッスンを続けたが、高校になってからは大学受験などでピアノから遠ざかった。それからは、わが家のピアノは完全に居間の粗大ごみとなった。

押し黙ったピアノは、十年後、騒音を出し始めた。この家の物好きなあるじが突然ピアノを始めたのだ。二〇〇六年二月初旬だった。家族は眼を白黒させて、どうせ半年ももつまいと断言した。当の本人も本当のことを言うと、三か月も続くかなと思っていたのである。


世の中は分からないものだ。独習用の教則本を見ながら、なんとか一年続いた。しかし、独りの練習では壁に突き当たり、どうしても前へ進めなくなってしまった。幸運なことに教え方が上手で熱心な先生に恵まれ、何時の間にかピアノを始めてまる七年が過ぎている。


最初の教則本は『バーナム 0巻』だった。四歳、五歳の園児が使うものだ。楽譜の余白に幼児のために楽しいイラストがついている。五十五歳の男が五歳用の本に取り組んだ。園児用といってもそう簡単ではない。0巻、1巻、2巻を終わるまでに二年余りかかっている。えらい苦労をした。次にお決まりの『バイエル』となった。これは三年ほどかかった。次の『ブルクミュラー二十五の練習曲』を始めてから二年たっている。


今年に入って、ピアノの椅子の具合が悪くなった。高さを調節する装置が経年劣化で壊れたのだ。市価一万円位の品物で、シートが硬くて冷たく、余り座る気にならない椅子だったこともあり、この際買い換えようと思い立った。住んでいる町にピアノ屋さんがあるので訪ねてみた。この店の主は横山さんという調律師で、世界的に著名なピアニスト、イェルク・デームスから調律を委ねられている。定期的にヨーロッパに出張し、デームスの八十数台のピアノを調律している。


珍しく横山さんが店にいた。椅子が壊れましたというと、日本製とヨーロッパ製のいろいろな椅子を見せてくれた。値段は一万五千円から八万円位である。横山さんはスペインのイドラウ社の製品を薦めてくれた。デザインが気に入ったので即決した。値段は五万五千円。椅子一脚としては随分高い。しかし、生涯使うことになるのでいいものを欲しいと思った。包装もせず腕で抱きかかえて持ち帰った。


新しい椅子を居間のピアノの前に置いた。実に優美な椅子だ。全体のバランスがいい。使っている天然材の木目が美しい。シートを上下させるハンドルも木でできている。ベルベットのシートは鮮やかな朱色で肌触りがよく、ほどよい硬さがあり、温かい。椅子を見ると座りたくなる。座ると練習がしたくなる。気がつけば昨年を遥かに上回る練習量になった。一脚の椅子がひとの意欲をかきたてる。不思議なことだ。たった一日で五万五千円の代金は回収できた気がした。銀行に預けてもまったく金利がつかない時代にあって、一日で十割の利息がつく投資は滅多にない。


私はピアノを練習するときは、一回で二十分ほど費やす。時間を空けてこのユニットを繰り返す。二月初めにこの椅子を買ってからの一週間、平均すると一日九ユニット練習している。ためしに、毎日つけている私の行動記録メモから昨年十二月の練習を集計してみた。テニスに行ったり、人間ドックで東京に行ったり、鎌倉で宿泊したりして練習しない日も相当にあったこともあるが、なんと一か月合計でたったの三十二ユニットだった。一日平均一ユニットだ。十二月は多忙で少なくなっていたとはいえ、圧倒的な練習量の格差に唖然とした。


練習を重ねるうちに、はっきりとした変化が現れてきた。楽譜を完全にまる暗記してしまったので、楽譜を見ずに自分の指の形を眺めながら弾いてみた。指が寝ているではないか。何年も昔から指を立てて弾けと教えられてきたが、まるでできていない。意識して指を立てて甲の高さを一定に保って弾いてみる。音がクリアになり、質感のあるあたたかい音がでる。音量を絞って演奏せよと言われている音符が、他の音符と同じ強さで打たれている。意識して弱い音で弾いてみる。初めは大変だが、次第にできるようになる。すると演奏全体のバランスが極度に改善され、美しい和音となった。よい先生の教えを受けて練習に継ぐ練習をする。そして更に練習する。今の私にはこれが一番大事なことだと分かった。


ピアノを始めてまる七年がたったとき、偶然に椅子が壊れ、交換に買った椅子のお蔭で突然、練習量が急増し、レベルが上がってきた。いいモノは多少高価であるとはいえ、結局トクだということだ。すばらしい椅子に座って研鑽を積んでいきたい。(二〇一三年)