murakamiのブログ

定年退職後の楽しき日々を綴ったエッセイです

ウィンダミア湖の朝


 しっかり下調べをし、準備万端整えて予定通りイギリス旅行に出かけた。訪問先はイギリス中央部の湖水地方と南西部のコッツウォルドである。出発の三日前、JTBの担当添乗員から電話があった。


「天気予報では雨となっていますので、雨具と暖かめの衣類を用意して来てください」

今回の旅行は雨を覚悟せねばならない。

出発日の朝五時に起床し、炊き上がったご飯でおにぎりを三個作って六時に家を出た。横浜シティエアターミナル発七時のリムジンバスに乗り込む。バスの中で、妻とおにぎりを一個ずつ、ハムを二枚ずつ、タッパーウェアのキャベツと胡瓜の漬物を食べ、初日の朝食とした。薄塩の南高梅を入れた海苔巻きおにぎりが旨い。

成田に到着し、九時半、JTBカウンター前で添乗員の高田信子さんとツァー一行十三名が集合した。高田さんは五十歳前後で頼もしげな雰囲気の添乗員だ。添乗日数は既に四千日を越しているという超ベテランだ。ツァーの一行は、長野県の利根川氏が最年長で七十二歳、札幌市の大平さんが五十五歳前後で最年少のようだ。女性九名、男性四名のグループである。全員が旅慣れている感じがする。ボディチェック、出国審査と順調に進み、十一時にヴァージンアトランティック航空の搭乗ゲートに辿り着いた。いよいよ旅が始まる。気分が高揚する。

航空機はエアバスA340で定員は三〇八人。ほぼ満席である。この飛行機の座席配置は両サイドに二席ずつ、中央に四席なので、出入りが非常に容易だ。私達の席は中央の右側二席である。離陸後、イギリスでの入国書類を書き、間もなく食事の時間となった。先ずビール、次に赤ワインを飲んだ。ワインはスペインのカベルネソーヴィニョンでなかなかいける。バッグに入れてきたハムとスモークチーズも旨い。

ほろ酔い加減でいい気持ちになったところで、フェリス女学院大学から借りてきたワーズワースの『THE PRELUDE』を読み始めた。英和辞典を片手に一行、また一行と丁寧に読み進めていく。第一章は、子供の頃とグラマースクールの頃の自伝的回想だ。詩だけに使われる単語や you を意味する thee などの古語が使用されるので厄介だ。散文と違ってカンマ、ピリオドも余り明記されず、一つの文がどこで終るのか直ぐには分らない所が多い。微風や太陽、森のことなどを語りながら、実はそれはある心情の比喩であったりして、これまで散文しか読んでこなかった私にはなかなかクリアに胸に落ちていかない。

A三四〇はさしたる乱気流に遭遇することもなく、時速八七〇キロでシベリア上空を飛行している。モスクワの上空で残った一つのおにぎりを夫婦で二等分して食べ、おにぎりは完食した。

ロンドンからは、ブリティッシュエアウェイズの国内線に乗り換えることになっている。ところが強風のため予定のフライトがキャンセルになり、目的地のマンチェスターに着いたのは午後十一時だった。私達十四名はバゲージハンドリングシステムの横に立って、自分のバッグが出て来るのを待った。四十分近く、ゴトゴト動き回る荷物を注視していたが、結局、誰の荷物も出て来なかった。やむなく今夜はこのまま入国し、バスに乗ってチェスターのホテルに行くことになった。

予定時刻より五時間遅れた上に、荷物の行方も知れない。明日以降荷物が戻ってくる保証もないという。旅の初日から大きなトラブルに巻き込まれてしまった。ところが、驚いたことにツアー客の誰一人として、けしからん、と憤慨する人がいないのだ。人間ができているのか、旅慣れた人達なのか。いずれにしても、この大人の態度に私は嬉しくなってしまった。

ホテルでぐっすり眠り、六時に目が覚めた。ありがたいことに雨は降っていない。このホテルは三千坪の森に囲まれており、実に雰囲気がいい。しかし、荷物の行方はまだ分らないという。みんなの顔に不安がのぞいている。

八時半にバスでホテルを出発して、チェスター市内を観光し、昼前、北に百七十キロ先の湖水地方の村、グラスミアに向った。グラスミアはウィンダミア湖のすぐそばにあり、森と水が本当に美しい。この村を取り囲むなだらかな丘は、文字通り緑の絨毯が敷き詰められている。そして、そこで羊の群れが草を食んでいる。こころが癒される村である。ワーズワースが九歳から八年間過ごしたホークスヘッドグラマースクールを訪ね、彼の席に座って『THE PRELUDE』を読んでみた。といっても、席に座ったから分るようなやわな著作ではない。次に、彼が二十九歳から八年間住んでいたダヴコテージ(Dove Cottage)に行った。書斎にも入った。二百七年前、ワーズワースはウィンダミア湖畔を歩き、思索し、この家で、『THE PRELUDE』を書き上げたのだ。椅子、机、暖炉などをつぶさにみた。ここで、『WILLIAM WORDSWORTH  THE MAJOR WORKS including The Prelude』というペーパーバックを買った。七百五十二ページの分厚い本だ。一〇・九九ポンド(約千四百円)である。今回の旅行のよい記念になるだろう。

この夜の宿所は、ウィンダミア湖のほとりに建つ、ラングデールチェイスホテルである。一八九〇年から五年間かけて、個人の住宅として建造された。一九三〇年からはホテルとして使用されている。国家指定文化財および歴史的文化財に指定されている。建物も調度品も重厚なアールデコ調の雰囲気が漂い、私が最も好みとするタイプのホテルだ。

ありがたいことに、バッグが戻ってきた。ロンドンのヒースロー空港に置き忘れられていたという。拍手が起こり、ツァー一行の顔がほころんだ。添乗員の高田さんは、このトラブルはブリティッシュエアウェイズの責任であるにも拘わらず、BAの対応は緩慢で、詫びる風もないと嘆いていた。それが英国流なのかもしれない。郷に入っては郷に従えということか。

部屋に入り、大きなバスタブに湯を満たし、一時間、ゆったりと温浴を楽しんだ。イギリス料理は積極的に食べたい気にならないので、夕食は部屋の中ですることにした。そう思って、昼の観光の合間に、グラスミアのコープショップで、生ハム(プロシュート)、ハム、コールスローを買っておいた。七ポンド(約九百円)だった。レストラン横のバーでビールを一パイント注いで貰った。四ポンドだ。部屋に持ち帰り、グラスに注いで、妻と半パイントずつ飲んだ。イギリスのビールはフレッシュでとてもおいしい。

プロシュートはたっぷりあり、程よい塩加減で実にうまい。ビールを飲み干すと、湯を沸かし、日本から持参してきた芋焼酎「さつま島美人」五合びんを開栓して、お湯割にして飲み始めた。再び湯を沸かし、サッポロ一番の「塩カルビ味焼そば」を作った。これが最高に旨い。牛肉もキャベツも入っている。黒胡椒とレモンの隠し味もきいている。イギリスの伝統あるホテルで、窓から森とウィンダミア湖を眺めながら、焼そばで焼酎のお湯割りを楽しむ。何という贅沢な時間、至福の時であろうか。この森を、この湖畔をワーズワースも歩いたことだろう。

その夜は、広くて豪華な部屋で柔らかい枕に頭を埋め、ぐっすりと眠った。翌朝は四時過ぎに目覚めた。今朝も雨は大丈夫だ。ツキが戻ってきたようだ。ありがたい。眠っている妻に気付かれないように部屋を後にし、庭に出た。結構肌寒い。ウィンダミア湖は霧のカーテンの後ろで完全に隠れている。庭は広々として緑と花で満たされている。四、五十メートル先で、兎が二匹、草を食んでいる。ピーターラビットの世界を想起させる。頭上では鳥の鳴き声がアンサンブルになって余りにも美しい。

人気のないロビーに戻って『THE PRELUDE』を読んでいると、五時半頃ウィンダミア湖の霧が消えてきた。少しずつ湖がその姿を現す。対岸の森と牧草地の上に青空が顔をのぞかせてきた。息をのむ程に美しい風景だ。カメラのシャッターを切った。

このような自然環境に居を構えたワーズワース。二十五歳の時に、富裕な友人、レスリー・カルバートの遺産を年金の形で相続し、以後、五十五年の生涯で職につくことなく、詩作に励んだ。ワーズワースにとって、詩集が売れようが売れまいが、どうでもよかったのだろう。しかし、彼の詩は売れる。その印税は、多分、遺産による年金額をはるかに越えたことだろう。

この十日間、ワーズワースの詩を読んできて、ウィンダミア湖の美しい自然、良き家族と友人、自身の健康、更に金銭に心配のない境遇があの詩を書かせているという気がする。早朝のウィンダミア湖の畔を歩き、明媚な湖と森を眺めていて、ワーズワースの詩文にいくばくかの親しみを感じてきているのを認識した。

THE PRELUDE』は、人間と自然と社会についての見解を書こうとした作品で、難解なもののようだ。今回の旅すがら、時間が取れる時はこの作品を読み、第一章の百五十行まで読み進めた。この度のイギリス旅行は、この作品への私の旅の船出のようだ。これからも、楽しみながらゆったりと読み込んで、ワーズワースの家で買ったペーパーバックを携えて、何年か後、このロビーのこの席に戻ってきたい。その時は、この湖水地方をもっと楽しむことができるだろう。
              (二〇一二年)



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